こんなことを書くのもなにやらアレな気がするけど、まぁ書いてみる。
今売れに売れている「ももいろクローバーZ」ですが、当時はまだZは付いておらず、やっとこさ知名度あがってきたかなくらいな感じ。
新宿タワレコに昼休みを利用してイベント参加用のCDを購入。
オフィスに戻り今日の握手は何話そうか、チェキはどんなポーズで撮ろうかなどと浮かれていたところへ急に来た地震。
外に避難してみれば周りのビルは折れるんじゃないかってくらいグニャグニャ曲がる。
こりゃ結構でかいなーなどと思っていると、立て続けにでかいのが。
帰宅命令が出たので新宿タワレコへ行ってみればイベント中止とのこと。
電車も動かないタクシーは捕まらない、自転車も売り切れと途方にくれながら時間を潰していると夜中に大江戸線が復活。
とりあえず上野へ。適当な居酒屋に入って適当に酒を呑んだ。
ほろ酔いで外に出たけど電車はさっぱり動かないので、赤羽まで歩くことに。
王子の辺りは古い家が多いのか、壁が崩れていたり、家の半分が大破していたりで大変なことになってる。
3、4間歩いてまだ夜が明けないくらいに赤羽に着いた。電車はまだ動いてないので、駅周辺の個室ビデオに入って範田紗々を3本借りて観ずに爆睡。
敬礼萌え。
時間目一杯まで寝て駅に向かう。駅のモニタにはテレビが流されていて、そこには汚い海が写っている。
まぁ、理解するのに時間かかるよね。まさか、三陸に津波が来るなんて思ってもいない。
へぇ、大変だなぁとか思いながらやっとこさ動き出した電車に無理やりのって家に帰る。この時点では映画見てる感覚。
家につくと食器が棚から落ちて散乱。水槽のソイルと水草が逆転。可愛がっていたスネークヘッドはひっくり返ったソイル、流木とヒーターの間に挟まって焼きあがってる。
Twitterやらニュースやらが騒がしいのでUstreamなどを見てみると原発が大変なことになってるとのこと。そして、さらに津波の被害も報告される。
よくよく見ると、いつも釣りをしに行ってた街がごっそり無くなってる。そんなことあるのか。
あぁ、いつも釣り餌買ってた民宿が無くなってる。あの建物はマイヤだ。とか。
あそこまで津波が来てるってことは、間違いなく知り合いが働いてる職場は無くなってる。大丈夫だろうか。
なぜかわからないが通ってしまう、愛想がいいだけの糞不味い潮ラーメンの食堂のおばちゃんとか、いろんな顔が浮かんでくる。
二十数年岩手に住んでたわけだから知り合いが少ないわけじゃない。
生まれも育ちも内陸だけど、沿岸に住んでる知り合いも結構いる。
あぁ、20歳頃に僕と付き合ってた女性は大船渡に嫁いだんだった。
急に怖くなって、嘔吐しながらガタガタ震えてた。
知ってる街が一瞬にして無くなるというのは相当なショックだった。
当時は結構必死に実家の状況やらを把握しようとしてた気がする。
その後、家族や友人と連絡がとれるようになったが、やはり全ての人の安否が確認できるわけでもなく。
ちなみに2年経った今でも生きてるか死んでるかわからない人が何人かいる。
もしかすると連絡が無いだけで、良くも悪くも結果はでてるのかもしれないが。
震災から3ヶ月経った6月。従兄弟の結婚式があるため帰省することになった。
悩んだがあんなことの後だから親戚一同集まって顔を見せ合おうというのもあり、結婚式を予定通りの日程で挙げるようにしたようだ。
実家の最寄り駅に行くと妹が迎えに来てくれた。せっかくだからどんな状況か見ていけばと、内陸でも被害が大きいところを巡った。
ひと通り巡った後、沿岸のほうへ行こうと山へ向かった。結構な山だと思ってたが、山を下ってすぐのところに大量の木材があった。
まさかこんなところまで津波が来たのか。どんだけ力あるんだ。
しばらくすると、車はUターンした。
コレ以上は行けないの?という僕の質問に妹は
「これ以上行ぐど鼻曲がるくれぇ臭ぇし、死体がいっぺぇあるがら。」
と酷い訛りを隠すこともなく冗談っぽく言いケラケラと笑った。
後々父親に聞くと、津波が収まってすぐ妹は沿岸へ知り合いを探しに行ったとか。まぁ地獄絵図とはまさにこのことというくらい悲惨な光景だったらしい。
結局は何もすることが出来ず、一晩その光景をただただ眺めて帰ってきたようだが。
結婚式に行くと、まぁよくあることだが僕は知らないが相手は僕を知っているというような親戚に会う。
石巻からやってきたというその親戚は、大きくなったね、30年振りかねと。
石巻は津波大丈夫でした?と聞くと、女性は笑顔で
「車で逃げでだらうっしょがらザッパと飲まれで参ったったー。そのまんま4キロよー。」
まぁ訳すと、津波が来たので車に乗って逃げたが、間に合わず津波に後ろから追いつかれてしまい、そのまま4km流されたらしい。
とにかく何も出来ない。何かの拍子で窓ガラスが割れる、海水が入ってくる勢いで身動きはとれない。緊急時なのになぜかシートベルトをしたため余計動けない。
車がかろうじて運転席側が上で斜めに止まり、顔が出るくらいの水位で収まったため生き残れたらしい。
しかし、身動きはできず、海水で体温が奪われたままの状態で、救助されるまで1日以上かかったようだ。よく生きていたものだ。
家は完全に流され何一つ残ってない状態だったが、周りの人がせっかくだからと寄付してくれたり、着物を借してくれたりして結婚式に来たとのこと。
結構、壮絶なのに笑いながら話すのは何故だろう。
その後、沿岸の被災地の釣り好きの人と話す機会もあったりして、
『いつぐらいから釣り出来るようになりますかねー?』
「もうやってる人もいるよー。今年は相当デカイらしいぞ。」
『そんなデカイんですか?』
「あぁ、なんせ今年は餌が豊富だからなー(笑)」
なんて不謹慎なことを言うんだ。被災地ジョークにもほどがあるとは思ったが、その人の奥さんが津波で亡くなったらしいが未だに遺体が発見されていないというのを聞いた時にはなんとも言えない気持ちになった。
その発言が良いのか悪いのかは俺には判断できん。
ほんとは、他にも言いたい事とかも結構あったり。
地元だから聞こえてくる良い話し悪い話なんかいっぱいあるし。
まぁでも、あんまり書いてもしょうがねーなみたいなのもある。なので僕の周りに起きたことをちょっとだけ酔ったはずみで書きました。
以上です。